加茂城

別名 鴨城
     岡崎城

     鴨庄城
付近住所 岡山県岡山市加茂700 現在−
2005/8/17 案内板アリ 日本城郭大系


旧都宇郡域にあって、足守川沿いに開けた沖積平野の真ん中に築かれた平城である。築城時期は、定かでないが、古くは、地侍の岡本隼人が城主であったと伝えられる。戦国時代末期になって、中国地方西部を支配していた毛利勢は、西進する織田方軍勢に備え、最前線となる備中南東部の南北沿いに、七城を構えていた。この城や、北方2キロメートルの高松城もその一つである。天正10年(1582)の秀吉の備中攻略に際し、この城には毛利方の桂広繁・上山元忠・生石治家が立て籠ったが、秀吉軍の攻撃にあって城中で内紛が起き、ついに落城したと伝えられる。まもなく清水宗晴の居る主城高松城は孤立し、水攻めに晒される事となった。城の構造は、平野の内の高まり(微高地)を土壇に仕上げて郭とし、周りの湿地を堀として利用したものである。現在高く残る壇は二の丸に比定され西に本丸、三の丸と続く壇の痕跡が観察され、東方に延びた連郭式の縄張りが想定される。なお、付近には弥生時代の集落跡などの遺跡も、広範に広がっている。